茂木健一郎氏と太田光氏の件についてそろそろ一言言っておくか

まず、茂木健一郎氏が指摘した、「日本の『お笑い芸人』のメジャーだとか、大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れている」という批判についての太田光氏の反論が、なんだか噛みついても問題のない相手にだけ噛みついてるような感じでいやらしいし、そしてまさにそういうところが茂木健一郎氏に批判されてるんだよって思う。茂木氏は「お笑い芸人のメジャーだとか、大物とか言われている人たちは〜」ときちんとリスクとって大物お笑い芸人たちに喧嘩ふっかけてるのにね。

 

インターネットの時代には、規制がいかに少ないかについて国家同士の競争が行われる。

他国にない規制がある国家は、自国の市場を海外企業に奪われるリスクに晒されることになる。

 

基本的に今の日本のお笑いは規制が多くて下らないことしかできない。そういうことを言うと、必ず「いや、その規制の目をかいくぐってでも下らないことをしているのを見てあえて下らね〜って笑ってるところが日本のお笑いのレベルの高さの証明」とか反論されるんだけど、このハイコンテクストを共有することでガラパゴス化して独自の進化を遂げていったといえば、言わずもがなガラケーだ。

 散々言われ倒されてることだけど、なぜiPhoneAndroidのようなスマーフォンを、iモードという世界で最初に大成功したインターネット機能付き携帯電話を生み出した日本が作ることができなかったのか考えてみよう。技術的には本当なら作れたはずなのだ。作りたくても作らせてもらえなかったというのが正しい理解のあり方だろう。

簡単に言うと、iphoneが画期的なのは、携帯電話を作る上での日本国内だけにあったローカルルールを全部無視して作ったからに他ならない。日本の携帯電話は、ドコモやauのような携帯キャリアが決めた仕様の範囲で作られていた。搭載するべき機能やUIやコンテンツの課金方法など、年々肥大化する仕様に合わせて開発される。

そうでないと日本で携帯電話を発売するのは事実上不可能な仕組みになっていたのだ。それを全部無視して作ったiphoneが画期的なのはむしろ当たり前だろう。

 

ちなみに、日本の携帯電話の仕様を決めていたのは携帯キャリアなのだけど、その携帯キャリアに影響力を行使できる存在が日本にはいくつかあった。 

そのうちの一つを紹介すると、音楽業界だ。auが日本の音楽業界と組んで着うたで大成功を収めたことから、携帯電話のキラーコンテンツとして音楽が認知され、音楽業界の影響力が非常に大きくなった。携帯電話の音楽機能の仕様には日本の音楽業界の意向が大きく反映されている。ひとつは強力なDRM著作権管理技術)により、パソコンの音楽データを着うたのデータとしてコピーするのが禁止されたことである。

したがって、ユーザーが携帯電話で音楽を手に入れるためには、ちゃんと購入してダウンロードする他なかった。ところがiPhoneはそんな日本国内の業界内自主規制なんて知ったこっちゃないから、パソコンとつなげて簡単に音楽をコピーできる機能を搭載した。パソコンだと違法コピーをダウンロードするのも容易だし、CDをレンタルしてコピーしてきてもいい。どちらにしても、ユーザーは従来の携帯電話で購入、ダウンロードするよりもはるかに安い価格で音楽を手に入れることができるのだ。

 

このように国内だけで守らなければならないルールというのは、グローバルな競争においては大きなハンディキャップとなる。携帯電話のインターネットにおいて、国内だけのルールは、一定の期間は確かに機能した。しかし、そのルールを守らなくていい海外からのプレイヤーの乱入によって崩壊したのだ。これからは、もし、なにか新しい国内だけのルールを作ろうとするなら、国内だけでなく、海外にも同じルールを適用しなければならない。

 

自分も大阪の吉本でお笑いやってた時に思ったけど、テレビや事務所のしがらみがあまりにも多すぎる。そんながんじがらめの前時代的な組織の中では、新しくて破壊的なものはまず生まれてこないし、いずれ日本独自の文化というのもなくなってしまうだろう。だから、茂木氏の批判に対してラジオで「うるせえよ、バカ」とか言ってる暇があるなら、お前も海外で通用するコンテンツを一つでも作って日本の文化を守ることに専念しろバカ。