「カメラを止めるな!」を観た感想(ネタバレあり注意)

 昨夜のレイトショーで観てきた。
全体的な印象としては「面白かった」し、評判が良いのも納得だけれど、エンタメ作品の物語として、「メタフィクション」的な仕組みと、「最初に謎を提示せずに伏線を張る」という展開をしたところの2つが気になった。

 
 それは一体どういうことかというと、まず、「メタフィクション」的な仕組みの問題から説明していく。
 
 そもそも、いわゆる王道と呼ばれる物語には、

「1つの不条理が次の不条理を呼び寄せ、その不条理が更に次を呼び寄せる、、、」

といった共通の形式がある。
 そして、これとは逆の1つの作品内に複数の不条理がありながら、これが連続しない場合は自動的に「メタフィクション」となる。つまり、Aという不条理が提示されている間に、それとは全く無関係なBという不条理が提示されることによって、作品が複層的な構造を持つようになる。
 この手法は、短編向きの不条理しか作れない、あるいは長編に不慣れな作家が、どうにかして長編物語を作ろうとして、尺を伸ばすために短い射程しかない不条理を詰め込んだ結果、相互の連続性を失い、その結果として自動的に「メタフィクション」になってしまうケースがよくあり、今回の「カメラを止めるな!」もそれに当てはまるような気がする。
 言うまでもなく技術的に高度なのは不条理の連続性を作り出すことで、これを「繋ぎ」と呼ぶ。
「繋ぎ」の技術があれば、わざわざ作品をメタにする必要はないし、それ以前に長尺に適した不条理を事前に選択しておけば、こうした問題は発生しない。

 
 次に「最初に謎を提示せずに伏線を張る」問題についてだが、王道ミステリでは、よく

「前振りとして、欠損=謎を提示することで、観客の興味を惹き、その後で答えを示す」

ことでシーン、あるいはシークエンスを繋ぐ方法が使われており、この手法のメリットは、

「謎を提示することで、視聴者の興味を惹きつける」

事にある。
  どんな娯楽でもそうだけど、オープニングで視聴者の興味を惹くことは重要だから、インパクトのあるシーンをトップに持ってくる方法と並んで、謎の提示は好まれる傾向にある。

 じゃあ、このタイプの「繋ぎ」にはどんなデメリットがあるのか?というと、すぐに思いつくのは、これもやはり「長編に不向き」だということ。つまり、シーン、あるいは連続性を繋ぐのに、全て欠損情報=謎=伏線を提示していたら、長編を書いていく際に膨大な伏線を張っていく必要性が出てきてしまう。
 

  だからこそ、本作の「カメラを止めるな!」では、前述した「メタフィクション」的な手法を取り入れたんだろうということはある程度は邪推できる。

   しかし、謎解きというのは、最初に謎が提示されなければ、受容者はそれを謎だと認識できない。にも関わらず、短編志向のある作家は、最後に出した情報で「大どんでん返し」をしたがる傾向が如実にあるので、情報を隠したがる。すると、高確率で「謎を提示する」という情報の配置方法を選択しない。         

  だから、重要な前振り=「謎」としての機能がされていない。その状態で「実はこんなことがありました!」と後から説明をされても、そこまでの驚きは生まれない。

  そして、これはあくまで「理想論」だが、そもそも、ストーリーが面白ければ、わざわざ欠損情報を視聴者に提示して、そこで興味を惹くという手法を使う必要はないと思う。



 完璧な創作物はこの世に存在しないので、どんな作品でもケチをつけようと思えば可能だし、また評価に個人的な嗜好が入るのは避けられないけど、

ストーリー・テリング(客観視しやすい)
②状況描写のテクニック(情報量を吟味できる)

この二つを意識するのは、作品のクオリティを保つためにも必要な気がする。

 
 そして、ここからはもう完全なただの私見になるけれど、そもそも自分は、今回の「カメラを止めるな!」を観に行くにあたって、なるべく事前の前情報はシャットアウトして観に行ったのだが、それでも、低予算で評判の良い映画ということは耳に入っていたので、その段階で、

「これはかなり高い確率でフェイクドキュメンタリーかメタフィクションもの、あるいはその両方だろうなー」

と予測していたので、実際に鑑賞してみると、やっぱりそうだったかーという感想だったというのが正直なところだった。
 これは、少ない予算でヒット作を出そうとすると、もしかしたら使わざるを得ない手法なのかもしれないけれど、まあ、そういった事情があり、物語において最初の前振りにあたる「フェイクドキュメンタリー」の部分で、なんかおかしいなと感じたところが何度かあった段階で、

「これはメタ的な展開になる可能性があるかも」

と前振りの仕掛けを何となく察してしまい、けっきょく物語にあまりハマれなかったという結果になってしまった。
 

 まあ、そんなぼくみたいな人は少数派だからこそ、ここまで評判が良いんでしょうけど笑